あやおけぶろぐ

うつ病で発達障害スペクトラムのあやおけが、考えていること

大阪北部地震と死にたくない気持ち

 

こんにちは。あやおけです。

 

今回は私がこのブログを始めるきっかけにもなった、

先日の大阪北部を震源とする地震に際して感じたことを書いていきたいと思います。

 

はじめに、昨今各地で頻発している地震において、

心身や建物家財など被害にあわれた方々に、

心からお見舞い申し上げます。

 

 

 

私は大阪の南のほう、海にほど近いところに住んでいます。

南海トラフ巨大地震が発生した場合、津波の被害にあう可能性が高い場所です。

 

 

2018年6月18日午前7時58分ごろ、私は自宅で出勤の準備をしているところでした。

着替えて簡単にメイクをして出かけようというところで、

今まで体験した地震の中で最も大きい揺れを感じ、

机の下にもぐって、揺れが収まるまでそこに身をかがめていました。

 

揺れが収まった時、まず初めに考えたことは、

 

津波が来るのではないか

ということでした。

 

 

私は朝テレビを見る習慣がありませんので、

津波発生の可能性があるかどうか、その瞬間にはわからなかったのです。

 

津波が来るとすればすぐに避難しなければ。

そう思ってテレビをつけ、「津波の心配はありません」という言葉を聞いて、

ひとまず安心しました。

 

 

 

その後、とりあえず駅付近のベンチで、鉄道の復旧と上司からの指示を待ちながら考えたことは、

 

「私は生きていたかったのだ」

 

ということでした。

 

 

 

 

大学を卒業してから長らく、

いつ死んでもいいと思いながら生きてきました。

 

少し前、失業中に大きな病気をして、手術をした時も、

自分の体にメスを入れられることも、

全身麻酔から目覚めない可能性があることも、

何も怖くありませんでした。

 

それどころか現在にも未来にも希望が持てず、

積極的に死にたいと思っていた期間のほうが長いので、

 

こんなにつらいなら生きることをやめてしまいたい、

私は生きているべきではない、

けれど自殺は他人に迷惑をかけてしまうからできないと、

 

皆が私の存在をきれいさっぱり忘れて、

初めからいなかったみたいに

しゅるりと消えてなくなりたいと願っていました。

 

 

 

現在の超ホワイト企業(お給料は低いですが)に転職して、

心機一転大阪に転居し、

 

ごはんをおいしいと感じ、

夜はぐっすり眠れ、朝は起きられるようになり、

 

彼氏や友人と明るい未来の話ができるようになってしばらくしての地震でした。

 

 

なんだ、私やっぱり生きてたかったんじゃん

いつ死んでもいいなんて思ってなかったんだ

 

 

と、改めて自分の置かれている環境をありがたく感じたのでした。

 

現在も地震の影響で苦しまれている方が多くいらっしゃる中、

不謹慎な内容でしたら申し訳ありません。

 

 

 

 

生きている時間がとてつもなく長く感じ、

この先何もいいことがないのではないかという絶望に置かれて、

どうしようもない状態になっている方もいらっしゃると思います。

 

でもどうか自暴自棄にならないでほしいです。

 

ある一瞬、生きていたいと感じる瞬間が訪れることで、

今までの苦しかった人生なんか帳消しになるような気持ちになる、

そんな瞬間が来るかもしれない。

 

 

今苦しんでいる方々にも、長くて大きな嵐が早く通り過ぎますように祈っています。